フランス料理 平野
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映画を見て

2017年2月6日
IMG_5957 先日 遠藤周作原作、Mスコセッシ監督の映画 『沈黙 サイレンス』原作程ではないですが、

いい映画でした、それほど違和感も無く。

原作は若い頃読みましたが、かなりヘヴィな小説でした。キチジローが軽すぎる感じがしましたが。監督の描き方が軽いのか、俳優が軽いのか?

強い人物は描きやすく、弱い人物は描きにくいということかも知れません。

世界史的に見るとキリスト教の歴史は多くの民族を駆逐した植民地獲得の歴史と対です。

日本のキリスト教の歴史では、キリシタン弾圧として語られる事が多いですが。

日本にキリスト教が入って来た当初、キリシタン大名によって仏教徒と寺社は、かなり排斥された様ですし、ルイス フロイスは、それを奨励したそうです。

宗教と権力は結びつきます。

(後に、豊臣、徳川は、欧州の日本植民地化の野望を見抜いて、弾圧に走ります。)

しかしながら、国家と個 同じ意思ではない、植民地獲得の先兵たる宣教師とキリシタンは、信仰に殉じようとする。

この物語は、この無垢なる魂の葛藤 神はいるのか?信仰とは何か?を描いてるんじゃないかと思います。

棄教した神父のことを転び伴天連と言いますが、柴田錬三郎の小説の主人公 眠狂四郎は、転び伴天連と日本人妻との間に生まれた子という設定です。

江戸中期にシドッチ?とかいう転び伴天連の神父さんは新井白石に西洋の学問を教えてます、日本の科学技術に貢献してると思います。新井白石は和魂洋才の祖。

それにしても、国家は、人の心の中までは、支配できないという映画でもあると思います。

安土桃山時代ばてれん追放令から約300年後、長崎 プティジャン神父の「信徒発見」。

何年か前、大浦天主堂近くの古ぼけた資料館でその経緯を読んだときは、計らずも落涙しました。

「信徒発見」は、今でもカトリックの奇跡と言われてる様です。

維新後の最後の弾圧となった、浦上四番崩れ。

明治初期「沈黙」の舞台となった外海の、福祉、産業育成、教育に半生を捧げたド・ロ神父。

それから、同じキリスト教徒による原爆投下。長崎は、重いです。